どなたでもご利用OK! 多目的室 FREE SPACE

地域ネットワーク

はなみずき拠点を中心とした半径2km以内に展開する

介護・福祉・医療のネットワーク

新潟医療生活協同組合と亀田郷芦沼会が運営する
事業所・サービス・医療機関による「地域包括ケアシステム」が強み。

住み慣れた場所で「自分らしい暮らし」を送っていただくため、地域内で助け合う体制が整っています。

関連組織図 関連組織の地図

亀田郷芦沼会の歩み

提供:亀田郷土地改良区 撮影:本間喜八氏

 小阿賀野川に囲まれた地域
 芦が生い茂った泥田
▲提供:亀田郷土地改良区 撮影:本間喜八氏

かつての呼び名は「芦沼」。
“地図にない湖”とも呼ばれた亀田郷

亀田郷が今の姿になったのは、1960年代。信濃川と阿賀野川、その2つを結ぶ小阿賀野川に囲まれた地域は、かつて「亀田郷」と呼ばれていました。今でこそ日本屈指の美田として知られますが、当時は、泥田が続く低湿地帯でした。「地図にない湖」とも呼ばれた亀田郷。なみなみと水が溜まった泥田に一歩足を踏み入れれば、ズボッと胸まで一気に浸かるほど。 芦が生い茂ったその泥田を、人々は「芦沼」と呼びました。

農家は堀沿いに軒を連ね、玄関前から舟を出して田圃に通っていたそうです。苗や刈り取った稲の運搬もすべて舟。田植えは乾田よりも遅い6月~7月にかけて行われました。田植えが遅くなると、収穫時期も遅くなります。稲の刈り取りは霰が降る頃まで続きました。凍てつく寒さの中、泥田での農作業は過酷な力仕事でした。

3年に一度は収穫皆無の水田
▲提供:亀田郷土地改良区 撮影:本間喜八氏
 低湿地帯を緑豊かな広大な大地
▲提供:亀田郷土地改良区 撮影:本間喜八氏

土地改良の積み重ね。
「芦沼」から緑の「美田」へ

3年に一度は収穫皆無の水田。過酷な労働を押し付ける「芦沼」と呼ばれたこの泥田。それをなんとかしたいとの思いで立ち上がったのが、私ども(福)亀田郷芦沼会の初代理事長・佐野藤三郎(2024年3月新潟市名誉市民に選定)です。佐野は亀田郷土地改良区の理事長でもありました。1955年に亀田郷土地改良区理事長に就任した佐野は、地域農民総出の水路改修と耕地整理の取り組みを指導。佐野のもとに結集した農民の10年を越える苦闘が、「芦沼」と呼んだ低湿地帯を緑豊かな広大な大地へとつくり変えました。 芦が生い茂ったその泥田を、人々は「芦沼」と呼びました。

3年に一度は収穫皆無の水田
 低湿地帯を緑豊かな広大な大地

新潟地震の発生。
都市化の伸長

1964年に発生したのが新潟地震。亀田郷も農地・農業用施設に大きな被害をもたらしました。特に石山・大形地区では通船川底の隆起で決壊し、農地に浸水、各所には地下水が噴き出し、地獄絵をみるような惨状であったと地区の住民は証言しています。

この復旧にも佐野は全力を挙げます。盟友と言われた佐野誠一とともに、農民の団結の力で復興させます。被災した栗ノ木排水機場に代わり、親松排水機場を整備。排水処理能力がアップします。乾田化面積の拡大は農家の多角化経営に道を開くとともに、市街化区域の広がりをつくりました。しかし、石山・大形地区に“都市化の波”が押し寄せたことで、新たな地域課題が生まれます。

「自分たちの病院がほしい」。
住民がものを言える施設を

亀田郷の農業分野において改革を起こした佐野は、「農業」と「都市」の調和のためにも奮闘しました。新潟地震をきっかけに、新住民が石山・大形地区に移住してきます。人口が急速に膨れ上がることで、学校の増設、舗装道路の整備など、“都市化するまち”は様々な課題に直面します。中でも、「信頼のできる病院がほしい」というのが、当時の亀田郷に住む住民の一番の願いでした。佐野は、この願いに真正面から向き合います。

土地改良を成し遂げた“協同の力”を、社会資本の整備に活かします。新旧住民の協同の力で、1975年新潟医療生活協同組合を設立。翌年には木戸病院を開設します。しかし、病院開設だけでは終わりませんでした。住民のさらなる願いとして生まれたのが、「特別養護老人ホームをつくってほしい」。 当時、病院から退院を余儀なくされた「寝たきり老人の問題」が大きな社会問題となっていた時期です。佐野は、“住民のくらしを最優先にする福祉のまちづくり”を提案し、地域住民に呼びかけます。

佐野藤三郎氏の強いリーダーシップ。
(福)亀田郷芦沼会が誕生!

1980年に、佐野は「社会福祉法人亀田郷芦沼会」を設立しました。法人名の由縁は、「協同の力」で泥田を美田に作り変えた先人に対する感謝と敬愛にあります。「芦沼」と呼ばれるほど厳しい環境の中、暮らしを支え合った当時の農村社会。そんな時代に思いを馳せ、亀田郷のアイデンティティである“誰にでも幸せに生きていく権利がある、誰もが幸せに生きていける社会”を実現していくために、私たち亀田郷芦沼会は地域の皆様と力を合わせ、日々、社会福祉事業に取り組んでいます。